ベネチア、ローマ、アテネで全ての運を使い果たしたのではないか?イタリアの地でヒッチハイク、ローマで伝説の選手ボディロガと会い、アテネではパナシナイコスの無観客試合を見届けた。
少し疲れを感じていた。
そして、ここまで体験したことだけでも、「今すぐ日本で誰かに話したい」と身体から何かが溢れそうな感覚だった。
しかし、本当のイベントはこれからなのだ。
テッサロニキへ
アテネからテッサロニキへ向かう。飛行機は1時間くらいだけど、空港までの移動を入れると半日はかかる。
アテネからテッサロニキは国内線。日本人が乗っていること自体がとても珍しいのだろう。隣のおじさんに話しかけられた。
「アリスの試合を見に行くんだ」と伝えると、「試合は水曜日だぞ?(今日は月曜)」と不思議がられたが、僕がアリスを好きなことを大変気に入ってくれたらしく、周りの人たちも「ここにいる全員、生涯アリスのファンだぜ」と喜んでくれた。
些細な出来事だけど、日本では考えられないような体験。バスケットへの熱が伝わってくる。疲れた身体が少し癒された気がする。
テッサロニキに到着し、いつも通りにホテルを探してその日を終えた。

テッサロニキにわざわざ試合の2日前に来たのには理由がある。
「会場に行けば、前日練習を見せてもらえたりしないだろうか?」
図々しいことこの上ないけど、チケットを入手するために、数名を通してHCまで話が行っているのだ。不可能と言い切ることはできない。
翌日、僕はアリスのホームであるアレクサンドレイオ・メラトロンに向かった。当然、試合のないアリーナに人気は全くない。しかし、チーム公式ショップだけがオープンしていた。

アリスのチームカラーであるイエローとブラックのグッズ、チームウェアが並んでいる。僕はお土産になりそうなグッズを一通り見終えると、勇気を持ってレジのスタッフに話しかけた。
「日本から来たこと」「友人を通してチケットはすでに確保していること」「なんとか練習を見学したいのだけど、誰かに繋いでもらえないか」
拙い英語で一緒懸命伝えた。

彼がどこまで僕の英語を理解してくれたかは全く分からない。
しかし、彼は内線を使って誰かに電話をしてくれた。ギリシャ語の会話の中身は本当に何も分からなかった。
しかし、数分待つと若い男性スタッフが1人、ショップに現れた。それがチームの広報のリオだった。彼は僕と同い年だった(当時26歳)。テッサロニキ出身で、アリスのことを本当に愛する若者だった。
彼は日本からファンが来ることを、事前に知っていたようだった。
「今から練習があるから、ついて来て」
その”時”はやってくる
歴史あるアリーナのコートまで、リオは僕を連れて来てくれた。天井は白く、ドームのような雰囲気の作りだ。
まだコートにはチームマネージャーらしき人しかいない。僕はゴール裏に椅子を用意してもらい、そこに座っているように言われた。
反対側のゴール裏の入り口から選手が1人、また1人と現れる。
僕はいよいよこの時が来たかと、興奮を通り越して、感慨深い思いにふけっていた。
そして、ラウーフがコートに入ってきた。
僕の隣にいたリオは、コートに入ってラウーフの元へ向かう。少し話すと、ラウーフは僕の方へ歩き出した。明らかに僕の方へ向かっていた。前を見ず、少し下を見ながら歩いて来た。今思えば、わざわざ日本からファンが来て、照れ臭かったのかもしれない。
ついに僕はラウーフに会うことができた。

この日、練習を見学できることが決まっていたわけではない。けど、「こんなことが起きるかもしれない」と、僕はラウーフのデンバー時代の実使用ユニフォームをバッグの中に潜ませていた。数年前にeBayで思い切って購入したものだ。
起こるかどうか分からないことに対しても準備する。これが僕のライフワークだ。
ラウーフは僕の目の前で、ユニフォームに丁寧にサインをしてくれた。あれから僕は、どこに住んでいても、家の壁にこのユニフォームを飾っている。
こんな体験が、地元の新聞記事として残っていることは、本当に嬉しいことだ。

次の日の試合は、すでにユーロリーグ敗退が決まっていたアリスにとって、ユーロリーグ最後の試合だった。国内リーグは続くが、ユーロリーグだけの限定的な契約になっていたラウーフにとってはシーズン最後の試合であることを意味する。
広報のリオはラウーフのことが本当に大好きだった。試合開始前には、短いながらもアリスに貢献したラウーフのためにセレモニーを開催した。ラウーフはたった1年しかアリスでプレイしていない。きっとリオの働きかけがあって実現したセレモニーに違いない。

アリスのファンは本当に世界一だ。試合開始1時間前からずっと歌い続ける。アレクサンドレイオ・メラトロンは他のスポーツやコンサートホールにもなる市民アリーナ。今年できた神戸のGライオンアリーナのような270度観客席のアリーナ。しかしながらイエローで埋め尽くされたアリスファンの熱狂はアウェイチームを飲み込む。


もう一つのサプライズ
試合後、リオは車で僕をホテルまで送ってくれた。途中、彼は思いがけないことを口にした。
「僕の父親はレストランをやっていて、実は明日ラウーフと一緒に夕食を食べることになっているんだけど、良かったら一緒に来ない?」
練習を見て、試合を見て、大満足していた僕に最後のビッグイベントが飛び込んできた。
実は欲張りだった僕は、明日木曜日にアテネに戻り、隣町のピレウスでオリンピアコスvsジュベントの試合を見る予定だった。(この時まだ16歳だった天才プレイヤー、リッキー・ルビオを見るため)
しかし、もはやそんな予定などどうでも良い。ラウーフに会う以上の予定など、この世に存在するはずもない。
次の日の朝、空港に向かい飛行機を変更する手続きをした。英語が喋れない僕が、どれだけ苦労してこの変更の手続きを終えたのか。しかし、今は何の記憶もない。
夕方にアリーナで広報としてのチームの仕事を終えたリオと合流し、いくつかのバスを乗り換えて、お父さんのレストランへ向かった。庶民的なギリシャ料理レストランはとてもアットホームな雰囲気。僕を歓迎してくれた。

30分ほどするとラウーフも現れた。約2時間くらいだっただろうか。夢のような時間を過ごした。僕もいくつか拙い英語で質問をした。「どんな練習をしてきたか」、「50点取った時のこと」、「ジョーダンとのマッチアップ」。ラウーフからしたら答え疲れたような内容だったかもしれない。それでも、1つ1つの質問に丁寧に、熱を込めて話してくれた。正直、理解できたのは20-30%くらいだと思う。バスケの話も、それ以外の話も、まるでプレイ中のフェイクと同じように素早い身振り手振りで話し続けるその人は、僕が人生をかけて追いかけてきたラウーフそのものだった。

別れ際にメールアドレスを思い切って聞いてみた。ラウーフはメモ用紙に手書きでメールアドレスを書いてくれた。それ以来、頻繁にではないけれどたまにメールを送りコンタクトしている。
彼が京都ハンナリーズでプレイするために日本に来たのは、この2年後のことだった。
Where basketball takes me
“ラウーフに会う”
僕はこの目的のためにギリシャへ向かい、幾度とない奇跡をすり抜け、ついに本人に会うことができた。
帰りの飛行機の中で、僕は決意していた。
「もっとバスケに没頭しよう」
僕は母校の中学校のボランティアコーチだった。だけど、もっと真剣にバスケットを学ぼうと決めた。もっともっとビデオで試合を見て、東京に住んでいる地の利を活かしてウィンターカップ、インカレ、天皇杯、JBL、WJBL、関東圏で見れる全ての試合を見に行った。コーチ向けのクリニックにも行ける限り全てに参加した。僕はもっとバスケのことを知りたかった。
“ラウーフに会う”というこの出来事は、僕に大いなる勘違いを与えてくれた。
「僕はバスケの神様に選ばれたに違いない」
1人の小学生が、テレビの中のNBA選手を好きになり、15年後に彼のプレイを見にギリシャへ会いに行く。
僕がどれだけ良いコーチになれるかは分からないけど、僕が経験したこの“奇跡”だけは、僕は生涯をかけて伝え続けていかなければいけないのだと思っている。
あなたが“それ”に全てを捧げたら、きっとバスケットボールはあなたをどこかに連れてってくれるはずだ。



