“バスケのことばかり考えている人間”と思われていることが多いのだけど、実は他にもやっていることは結構あったりする。
自分の中では当たり前のことなんだけど、どうもオタク的に、1つのこと深く深く知りたくなってしまう性分らしい。(あまり話しすぎるとドン引きされることも多い)
中学校の時に出会った“おーい龍馬”もその一つだ。武田鉄矢原作、小山ゆうの描く幕末物語に、ものの見事にハマっていった。オマケに中1の時の担任が勝海舟の大ファンであったことも大きく影響している。僕の中で“歴史”というものが、“年号を覚えること”じゃなくて、“ストーリー”に変わった瞬間だった。
ルーティンになった墓参り
幕末の歴史に登場する人物は、本当に魅力的な人が多いのだけど、今日はやっぱり坂本龍馬の話をしよう。
龍馬にゆかりのある場所はもういろんなところを訪れた。あまり大きな声では言っていないが、試合の遠征で京都に行く時は、必ず龍馬の墓参りをすることがルーティンだ。練習と食事の合間の時間、上手く時間が見つからなければ早朝に。京都遠征の時に、墓参りに行かなかったことは1度もない。霊山神社から京都の街を眺めたのは、もう何回になるだろう。行くたびになんか初心に戻れる気がするから不思議だ。

そしてついに、昨年はついに龍馬の命日(龍馬祭)である11/15に訪問することができた。ざっと200名前後の方(ファンと行って良いのか分からない)が集まって、墓参りをしつつ、軍鶏鍋を食べつつ、それぞれが龍馬のことを考える。なんとも言えない空間だったけど、もう引退されているだろうご夫婦、一人旅の30-40代女性や、中にはブランド物に身を包んだホスト風グループやキャバ嬢風のギャル、そしてバスケコーチも1人。自分以外にも龍馬を大事にしている人がいるんだなぁと、不思議な気持になった。ちょっとでも龍馬が好きな人にはぜひ訪れてもらいたい場所だ。

偉業より物語
坂本龍馬ほど、「何をした人?」と一言で語るのが難しい人物もいない。彼は教科書のなかでは、剣術の達人であり、薩長同盟を仲介し、明治維新夜明け前に活躍した政治家のように描かれているけど、実際は海が大好きな青年だった。そして、どうやら龍馬は「自分に何があれば、何ができれば幸せか」に忠実に生きた人だったらしい。
龍馬は世界の海に出て商売がしたかった。でも鎖国もあるし、身分制度で誰もが自由にやりたいことができる世の中じゃない。なら変えるしかない。実際はもっとめちゃくちゃ複雑なんだろうけど、だいたいそんな感じだろうと理解している。
だから、明治維新後に「政府の要職に就くために、、」とか、「もっと偉くなりたい、、」とかそういう雰囲気が一切ないのだという。それも、龍馬の魅力の1つなのだろう。
教科書的には、「薩長同盟が、、、」とか政治的に大きな出来事を書かなきゃいけないのは分かる。だけど実際はその他のいろいろなエピソードの方が面白くて、記憶に残ってしまうことが多い。人間の人生なんてそんなものだ。
長崎に海援隊をつくり、やっと手に入れた船が、他藩の船との事故で沈没(いろは丸事件)。自分のことに置き換えても気が滅入る。現代人だって、ローンを組んでやっと手に入れた車を事故で失ったらそりゃ萎える。そんな龍馬は、万国公法を持ち出して、紀州藩と戦い賠償金を勝ち取ったらしい。現代人の我々からすれば、事故の処理など「過去の事例や判例は、、、」となるわけだけど、そんなものは一切ない時代に、どれだけの準備と根回しが必要だったのか、考えるだけでも目眩がする。

今年の春には、人生で2回目の長崎を訪れて、このストーリーにも改めて思いを馳せることができた。※亀山社中跡もぜひ訪れて欲しい場所
平凡な問いを忘れずに
いろは丸事件をはじめ、エピソードを挙げたらキリがないのだけど、幕府から指名手配され、明日殺されるかもしれないっていう日常の中で、「日々を楽しく、仲間を大切に」そんな当たり前の感情を忘れずに生きていたんだろうなと思わされる、数々の“物語”が好きなのだ。
龍馬は35歳でこの世を去った。残念ながら僕はとっくに龍馬より年上になってしまった。彼のようになるのは到底ムリなわけだけど、「龍馬ならどうするかな?」なんて考えることもある。
この質問は僕の中ででは、「自分が本当に大事にしていることは何だろう?」という問いに極めて近い。こんな平凡な問いを思い出すために、僕はこれからも京都を訪れる。

※龍馬の史実に関しては、いろいろな議論が巻き起こっているのは承知しています。ある程度の史実を把握するよう努力していますが、僕の好きな龍馬は、たとえフィクションであっても“僕の龍馬”なので、真面目すぎるツッコミはご遠慮ください、、、笑。


