2006年に日本で開催されたFIBAワールドカップは、僕の人生の中でかなり重要なイベントだった。NBAでスターの階段を登り始めたノビツキー、新人王を獲得したパウ・ガソール、アテネ五輪で金メダルを獲得しNBA制覇も果たしたジノビリ。彼らが同時に日本に来ていたのだ。もちろん、レブロン、ウェイド、カーメロなどのスーパースターを要するアメリカ代表が話題の中心ではあったが、僕にとってはそれ以外のチームが見れることの方が嬉しかった。そして、準決勝でギリシャがアメリカを倒した試合の目撃者となったことが、僕の人生の1つの転機になったと言って良い。
ギリシャのバスケに心酔し、中学校のボランティアコーチとして日常に戻ってから約1ヶ月後、1つのニュースが飛び込んで来ることとなる。
バスケの神様の声
「Mahmoud Abdul-Rauf signed with Aris Thessaloniki」
ラウーフがギリシャの古豪アリスと契約したというのだ。
「ギリシャへ行こう」
ギリシャのバスケが見てみたい。
ラウーフも見たい。
この2つが一緒に来るってことは、バスケの神様からのメッセージに違いないのだ。
そう決めたら、早速準備に取り掛かる。しかしながら、いきなり高いハードルにぶち当たる。2006年当時、ユーロリーグの試合を見に行く日本人などほぼ存在しなかったのだ。NBAと違って試合のチケットを取ろうにも、販売サイトがあるわけもなかった。
そこで僕が頭に浮かんだのが、島本和彦さんを頼ることだった。NBAの解説者、テレビの中の島本さんと知り合っていた中学生当時の自分に、心の底からグッジョブと言いたい。
島本さんはすぐに、NBA雑誌でユーロリーグの記事を書いているKさんを紹介してくれた。(感謝を伝えても伝えきれない)
2002年にUSA代表がいくつかのチームに敗れて以来、少しづつヨーロッパのバスケも注目され始め、NBA雑誌にも白黒で2ページくらい、ユーロリーグの記事などが出始めていた時期だった。
いただいたメールアドレスからKさんにすぐにメールを送った。なんとかラウーフのいるアリスに試合を見に行きたいという気持だけを伝えたのだった。
アリス・テッサロニキというチームは、2006-07シーズンはユーロリーグに辛うじて出場していたものの、決して超強豪ではない。80年代から90年代は黄金期があったようだが、パナシナイコスやオリンピアコスと行ったユーロリーグのトップクラブに比べるとはるかに小さい。そもそもフランチャイズもアテネではなく、ギリシャで2番目の都市テッサロニキ(ギリシャから飛行機で1時間くらい)。あまり日本人が訪れる場所でもないだろう。ただし、アリスのファンは忖度なしに世界一だ。
Kさんからメールの返信が来るのに、そんなに時間はかからなかった。Kさんはなんと、繋がっているイタリア人のバスケライターにコンタクトしてくれたのだった。「アリスに知り合いがいるかどうかライター仲間に聞いてみます」と。
そして、数日後に驚きの回答が、、、!
「ライターの彼がアリスの現在のHC(イタリア人)と良い関係なので、チケットなど手配してくれるようにお願いしてくれることになりました」
メールを読んでるだけで、鼓動がものすごく速くなっていくのが分かった。
”ラウーフに会えるかもしれない“
不可能と思われたこの言葉が、少しだけ僕の頭をよぎった。
5人辿れば地球一周
島本さんに連絡してからわずか数日で、奇跡のようにラウーフのプレイするアリスのコーチまで繋がったのだった。
小学校6年生の時にテレビの中でラウーフに出会った。SNSのある昨今に比べて、90年代に衛生放送の中で見るNBA選手がどれだけ遠い存在だったか、なかなか伝えるのが難しい。
しかし、そのラウーフに繋がるまで
“島本さん→ Kさん→ イタリア人ライター → イタリア人HC → ラウーフ?”
たったの4人。
これはちょっとすごい現実だ。
自分の運が強すぎるだけなのかもしれないけど、地球が思ったより狭いことに気付き、また1つ世界の秘密を知ってしまった気がした。
旅が準備で、準備が旅
試合のチケットが何とかなりそうなのは決まった。これだけでも十分に満足と言えば満足なのだが、これだけでは終わらない。そう、僕は欲張りなのだ。
テッサロニキには直行便はない。どうしてもアテネを経由しなければならない。
アテネには何があるか?
そう。もうお分かりだろうがパナシナイコスがあるのだ。パナシナイコスにはレブロンを1オン1でやっつけたディアマンティスがいる。こうなったら試合を見に行くしかない。
そもそもアテネにも直行便がない。
いくつか経由できる場所があるけど、せっかくならローマを経由してイタリアのバスケも見よう。なんとアリスの試合がアウェイのトレヴィーゾ(ベネチアから電車で1時間くらいの町)であるから事前にラウーフをもう1試合見れるじゃないか。
こんな風に夢は膨らんで行く。
結局、ベネチア(トレヴィーゾ)→ローマ→アテネ→テッサロニキ→アテネ→日本
というスケジュールで計5試合を見て帰る旅を計画した。
格安の飛行機チケットを予約して、イタリアに向けて飛び立った。
26歳だった。
持っていくものはワクワク感だけ。僕はホテルの予約すら取らずに旅立った。
「行けばなんとかなるでしょ。ユーロリーグのチケットに比べたらホテルなど楽勝のはず。」
ベネチアに到着したのは夜中の22時過ぎだった。かなり暗いけど、今からホテルを探さなければならない。“地球の歩き方”を片手にできるだけ安そうな1つ星ホテルを探して歩き回る。
しかし、このベネチアという街はなんと美しいのだろう。夜中でもキラキラと輝く水路、舗装された石畳、中世のテーマパークのような建物たち。
僕はバスケのことしか調べておらず、ベネチアがどんな街なのかすら、なんの事前知識も持っていなかったのだ。

なんとか2件目に訪ねた1つ星ホテルで空き部屋を確保した。50ユーロだった。ベッド脇の小さなスペースにスーツケースを広げ、Tシャツとバスパンに着替えて眠りについた。
長い移動と、知らない街へ来た緊張で疲れ果てていた。だけど、これから始まる未知なるバスケの世界にワクワクが止まらなかった。幸せだった。


