“プリンストンオフェンス”から何を思い浮かべるでしょうか?
“バックカット?”
実はそれは、、、
”のらりくらり
なんです。
今ではバックカットがプリンストンオフェンス(以下、PO)の象徴みたいになってしまっているけど、実際彼らのオフェンスのキーワードは、「バックカット」ではないんです。もちろん象徴的なプレイなので、印象には残りやすいですけども。
プリンストン大(以下、P大)の歴史上1番の伝説の試合は1996年。第2シードだった前年チャンピオンのUCLA試合を、15シードとして出場したP大が倒した試合と言われています。それはショットクロックが35秒だったからこそ成し遂げることができた大アップセットでした。(ちなみにこの時のUCLAには日本に馴染みの深いJR桜木選手もいました)
なんとスコアは43-41

彼らのオフェンスの鍵は、ゆっくり攻めて相手の攻撃回数を減らすこと。そして相手が焦ってプレッシャーをかけてボールを奪おうと前のめりになった時に、バックカットでやっつけるわけですね。
僕は、運転中に前の車がすごくゆっくり走っていて邪魔に感じたりすると、「前の車がプリンストンオフェンスしている」とジョークを言うのですが、誰1人理解すらしてくれません。(当然か)
P大は、アイビーリーグというカンファレンスに属しており、学業で優秀な大学なので、バスケットでの奨学金がありません。そんな背景があって、このオフェンスを考案した伝説のピート・キャリルコーチは、圧倒的な身体能力を誇る相手に対して、ポゼッションを減らすことでその差を埋めようとしたわけですね。
プリンストンオフェンスのエッセンスは、現代バスケの中に色濃く生き残っていますが、それは主にバックカットとして認識されています。しかしそもそも、オリジナルのPOを遂行するには、ショットクロックが24秒(スローインやリバウンド後は14秒)ではほぼ不可能と言っていいわけです。
ただ、
このオフェンスが有名になった理由
は、その後の歴史がいくつか影響しています。
①一つは2000年前後のサクラメント・キングスの台頭です。ショットクロックが24秒のNBAですが、パスに優れたビッグマン、クリス・ウェバーや、ブラディ・ディバッツを擁していたキングスは、彼らをハイポストに置くことができるPOを採用し、レイカーズのライバルとしてNBAを盛り上げました。(あの時のキングスは本当にカッコよかった)
②2002年にNBAファイナルに進出したNJネッツは、ジェイソン・キッドを中心としたトランジションゲームばかり記憶に残っていますが、ハーフコートのシステムのメインはプリンストンオフェンスでした。
③そして2007年には、タレント豊富な黒人選手の揃うジョージタウン大が、POでファイナル4に進出する快挙を成し遂げるわけです。この時点で、POは身体能力が低いチームのためだけのものではないことを証明したわけですね。(ちなみにこの時のジョークタウンはサムフォード型のPOでした)
④2012-13シーズンのレイカーズは、連覇の中心選手だったコービー、パウ・ガソールに加え、スティーブ・ナッシュ、ドワイト・ハワードと信じられないような(ある意味レイカーズっぽい)大型補強を行いました。そして、この時HCのマイク・ブラウンは、POを採用しわずか5試合で解雇されています。全てをPOにすることはできませんが、選手からの信頼を得られなかったという意味では大きなファクターでした。
ある“戦術”を勉強したり、学んだりする時に、
「その“戦術”の歴史を知ること」
は、すごく大事だと思うのです。歴史を知ることで、そもそもその“戦術”が生まれた目的や、本質を知ることができるし、メリットも、デメリットも、そして“失敗例”も同時に学ぶことができます。
その失敗例の1つを僕自身も持っているわけです。
自分自身がチャレンジした経験を持つことが1番大事なのは言うまでもありませんが、”その戦術の歴史“という知識と融合させることで、その経験は何倍も強力なものになるでしょう。
そしてもう一つ大事だと思うこと。
それは
「”本物“に直接触れること」
ですね。なんと、僕にDVDをくれた福田将吾さんは、プリンストンオフェンスを学ぶために、P大の学生でもないのに、ピート・キャリルさんに直談判しにいった男です。まさに変態です(褒めてます)
彼の行動に、若かった自分がどれだけ勇気づけられ、その後の人生に影響を与えているかは計り知れません。そして、こうして道を切り拓いた先駆者がいるから、我々はこのオフェンスをより深く学ぶことができるわけですね。
この事実そのものが、また1つの歴史。



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