中学生だった僕はNBAに夢中だった。
当時、NBAの放送は深夜1:00にBS1で始まることが多く、ビデオで録画することもあったし、深夜まで起きて見ることもあった。
NBAはテレビの中だけの物だった
当たり前だけど、当時は英語が分からないので、日本語の解説を聞きながら、選手のことやチームのことを少しづつ覚えた。その中でもお気に入りの解説は、島本和彦さんだった。古くからのNBAファンであれば知っている人も多いだろう。“月間バスケットボール”の初代編集長であり、古くからNBAの取材を続けてきたジャーナリストだ。そんな島本さんの解説は、技術や戦術のうんちくはほとんどなく、アメリカの文化や、ファンの様子、選手のキャリアやエピソードが中心。そんな解説を聞きながら見るNBAに、中学生だった僕は魅了されたわけだ。
まだ海外旅行すら経験のない中学生にとって、アメリカまで何度も足を運び、NBAを直接見て取材して来た島本さんは、まさに神様みたいな存在と言っていい。
島本さんはNBAチームをチーム名で呼ばす、フランチャイズ名(都市名)で呼んでいて、それがなぜか僕にとってはすごくカッコよくて聞こえた。僕は未だにそんな中二病を拗らせて、今でも常にフランチャイズ名でNBAチームを呼んでいる。
考えずに動く
中学3年になったばかりの春先に、廊下で家庭科の先生に突然声をかけられた。
「新しく赴任してきた新校長先生なんだけど、なんか義理のご兄弟の方がNBAの仕事している人らしいわよ。たしか島本なんとかって人。」
まさか、、、と思いつつ
ちゃんと先生に確認をしてみると、どうやら本当に島本和彦さんの義理のご兄弟だということが分かった。
その日のお昼休みに、僕は校長室のドアをノックしていた。校長先生はたまたま在室中で部屋に招き入れてくれた。

校長室に入って革のソファーが少し沈む感触は、当時の僕にとってはとても新鮮だった。勢いでノックはしてみたものの、何を伝えるか何も考えてなかった僕は、緊張して全然話せなかった。
「実は、、、僕はNBAが大好きで、、、島本さんと会ってみたくて、、、」
おそらくこんな内容を伝えたのだと思う。
「私から本人に伝えておくから、この電話番号に近々電話してみて」
校長先生はなんとあっさりと、島本さんのご自宅の電話番号をメモして持たせてくれたのだった。
そして、数日後に島本さんのご自宅に電話をかけてみた。これも本当に緊張した。
「来週の日曜日の午後は時間があるから、家まで遊びに来ていいですよ。住所を言うので、調べて来てみてください。」
急展開すぎてその数日間は記憶から抜け落ちているのだけど、まさに奇跡の連続で、僕は本当に島本さんのご自宅を訪ねたのだった。
NBAに急接近
どれくらいの時間、島本さんの自宅にいたのかは全く覚えていない。現地でNBAを取材した話、ある選手にインタビューした時の話、とにかく全てはNBAの話だったと思うけど、具体的に聞いた話の内容はほとんど覚えていない。
けれど、初めてNBAを見たかのようなあの興奮と、初めてテレビの中の人に会う緊張感だけは今でも覚えている。
当たり前だけど当時の僕は、NBAの試合をライブで見たこともないし、NBAを生で見たことがある人と話すことも初めてだった。
もはや島本さん自身が、僕にとってNBAだったのだ。一気に世界が小さくなったように感じる1日だった。
想いには磁力がある
バスケに何の関わりも持たない家庭科の先生が、僕にそれを教えてくれていなかったら、、、。
先生が、僕がNBAバカであることと知らなければ、、、。
校長先生が素晴らしい教育者でなければ、、、。
いくつの“たら”や“れば”が繋がって奇跡を起こしてくれたのかは分からない。だけど、この奇跡は「想いには磁力がある」と僕に信じさせてくれる経験の1つだ。
もちろん、ここに書いた出来事のほぼ全ては自分の実力でもなんでもない。ただ運が良かっただけだ。僕がやったことは、校長室のドアをノックしただけなのだから。
今まで本当にいろいろな場所に行ったけど、きっかけなんて本当に小さな行動ばかりだった。
もちろん、動いてみても、全く身を結ばなかったことだって無数にある。だけど、それは別に無意味じゃない。
そこからの人生で、僕はいろいろな場面で島本さんにはお世話になり続けている。いろいろな経験を重ねるたびに、その報告ができることがとても嬉しい。
島本さんの自宅を訪ねた帰りは、わざわざ迎えに来てくれた校長先生が車で駅まで送ってくれた。途中でジョナサンに寄り夕食をご馳走してくれた。
このお礼もいつか伝えないと。



