
バスケットを愛する方々には
きっと、毎日練習した体育館や、大会の試合会場など、思い出に残るコートが1つくらいあるのではないかと思います。
僕はNBAをテレビで見たことをきっかけにバスケットを始めた(と言っても小学校の校庭で1人でNBA選手のマネをするだけ)けど、小学校の時は近所にミニバスチームがなかった。そもそも、僕は小学校の6年間野球をやっていて、地域のチームではピッチャーだった。そして中学でも野球を続けるつもりでいた。実際、中学校の部活ではなく、硬式野球の本格的なクラブチームに入ったのだが、半年で辞めてしまった。たまたま少し大きな怪我をしたのを理由としたが、実際はNBAばかり見る毎日で、バスケに夢中だったのだ。なので野球には特に未練はなかった。
クラブチームの野球の練習は土日だけだったので、平日限定という条件ですでにバスケ部には入部していた。ただ、1年生がやれることは、舞台の上に並んでハンドリングやドリブル、そして先輩の練習の声出しだけだった。甘くない世の中を知ることになる。
入学してまもなく、他の小学校から来た友達が一気に増えて、行動範囲も広がった。そして、同じバスケ部に入部した仲間が、バスケットができる場所を教えてくれた。それはなんと、
バスケットゴールが設置されているモルモン教会
だった。家から自転車で10分もかからない場所なのに、今まで全く知らなかった。教会の駐車場にあるバスケットゴール。もちろんゴールは1つだけで、コートやフリースローラインすらもなかったが、5対5も十分にプレイできる広さだった。教会の存在を知って以降、僕は放課後はバスケ部の練習には行かず、毎日教会に行って好きなNBA選手のプレイをマネする毎日になった。本当に毎日教会に通った。
今思えば不法侵入以外の何物でもなかったが、中学1、2年生の子供だったし、怒られたことは1度もない。誰かが来れば1対1や2対2をすることもあったが、ほとんどの時間は1人でドリブルやシュートをし続けた。本当に暗くなって、
ボールが見えるギリギリ
の時間までプレイした。帰宅すると録画したNBAを見て、寝不足でまた学校へ行って、放課後に教会で気に入ったムーブを練習する。これが平日のルーティーンだった。もちろん部活にはたまに参加していたのだが、多くの時間を教会で過ごしていたので、僕には下級生の時の部活の記憶というものがほとんどない。
2年生の夏前に上級生が引退すると、ついに僕らの代になった。ここからやっと試合に出れると思った。チームには慎重の大きな選手や身体能力の高い選手も何人かいたが、ドリブルもシュートも、(たぶん)僕が1番上手かった。まともに部活の練習には出ていなかったが、モルモン教会で毎日プレイしていたので、当たり前といえば当たり前の話ではある。プレイしている時間は圧倒的に僕が1番だったのだから。
当然、“練習している”という感覚を持ったことは一度もない。
「努力は夢中には勝てない」
という、為末大さんのツイートを知ったのは20代後半のことだが、「なるほど。自分はただ“夢中”だっただけなんだな」とその時やっと分かった。どんなに難しいシュートを決めても、拍手も、“ナイッシュー”の一声ももらえないコートだったけど、なぜか居心地は最高だった。
上級生になっても、朝が弱かった僕はほぼ朝練というものに行ったことがない。(正確には、NBAを夜中まで見ているから朝起きれない。)今思えばチームメイトとしては最低なのだけど、それでもコーチは僕を試合に出し続けてくれていて、僕はそれに疑問を感じたことすらなかった。
もし他の中学校だったら、試合に出してもらえない可能性も十分にあっただろう。もちろん、コーチも含めチームの誰もが僕が毎日教会でプレイしていることを知っていたからこその、多少のリスペクトがあって、僕を試合に出してくれていたとは思う。しかし、僕は毎日朝練に出ている仲間に対してのリスペクトや配慮が全くできていなかった。後悔しているわけではないけど、中学生だった僕にはそれを感じる能力がまだなかったのだ。
不法侵入だけど
それを放置し続けてくれたモルモン教会にも感謝したい。時には、どこのコートも空いていない元旦だったり、雪が積もった次の日にもシュートしに行く時もあった。もし教会が近くになかったら、僕の人生は確実に今と同じではなかっただろう。もはや、バスケットゴールも老朽化で撤去され、あのゴールは残っていないが、あの駐車場は永遠に僕のホームコートなのだ。




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