ローマで1日を終えた僕は、いよいよアテネへ向かった。目的のテッサロニキではない。まずは経由地のアテネ。
ユーロリーグの試合は水曜日、木曜日のどちらか週に1試合。水曜日にトレヴィーゾでアリス(ラウーフ)の試合を見たので、次の試合は1週間後ということになる。次の水曜日まで時間はたっぷり。土日は別の試合を見るためにアテネにステイすることにしていたのだった。
アテネへ
ローマのフィウミチーノ空港から約3時間。ついにアテネに到着した。観光シーズンではないからか、中心地まで向かう電車はガラガラだった。いつものようにホテル探しをするために、ホテルが集中しているらしいシンタグマ駅で降りる。街を歩きながらいろいろなホテルを訪ねた。
アテネの雰囲気はローマの街とは全く違う。落ち着きのある大人な街という感じだった。街を歩いていると見えるアクロポリスが美しい。全てが歴史的建造物に見えるような美しい景色。歩いているだけでも「ギリシャに来たんだ」と湧き立つ気持を抑えられない。こんな場所で育った人間たちが、いったいどんなバスケをするのか。アメリカを倒すほどの力を付けるとはにわかに信じられない。

ここでも頼りになるのはやはり「地球の歩き方」。安いホテルを求めて、最終的に辿り着いたのは、「アクロポリスハウス」というアットホームな家族経営の小さなホテル。35ユーロと言われたけど、現金なら30ユーロでいいよと言われ、3泊宿泊することにした。ガイドブックには通常もっと高い金額が書いてあるけど、直接尋ねるとそれより安い金額で泊めてくれることが多いから面白い。
チェックインしてシャワーを浴びて、フロントにいるオーナーとバスケの話をしに行った。昨年(2006年)日本で行われた世界選手権。アメリカを破った準決勝はギリシャ人にとって伝説のゲームのはずだ。「僕はあの会場にいたんだ」と自慢できるわけだ。
幸運なことに、オーナーはバスケ好きだった。選手の写真などを見せると、1人1人について深く語れるくらい、彼は知識を持っていた。日曜日にパナシナイコスの試合を見に行くんだと興奮気味に伝えた。
彼は1つアドバイスをくれた。
「パナシナイコスファンに、オリンピアコスの選手、このスパヌリスやスコーツァニティスの写真は絶対に見せてはいけないよ。彼らを刺激すると危険だからね」
彼は冗談じゃなくシリアスだった。パナシナイコスとオリンピアコスのライバル関係は僕でも多少は知っていたけど、ここまでとは、、。
パナシナイコスの試合は2日後の日曜日だった。当然バスケのスケジュール以外何も考えていない。何を観光すべきかもよく分からない。そこで、明日の土曜日に試合がないか、マスターに調べてもらうようにお願いをして眠りについた。部屋は思ったよりも広く、この旅では初めてスーツケースを広げられるスペースもあり、かなり快適だった。コンセントがゆるく、ケータイを充電しようにも重さでだんだん抜けてしまうという不便さはあったが、まぁその程度で動じたりはしない。
アギオス・トーマス
1つ星ホテルの朝食は質素だ。薄切りの安っぽいトーストとゆで卵とオリーブ。でも30ユーロでそこまでしてくれるのだから、不満など何もない。しかし、そのトーストがまた美味しい。日本では滅多にトーストは食べないけど、知らない街で食べる朝のトーストほど美味しいものを僕は知らない。

ちょうど朝食を食べている時、新聞を読んでいたオーナーは、バスで行ける距離の試合を教えてくれた。
Marrousi 対 AEL (Larissa)
聞いたこともないチームだったけど、とりあえず行くことに決めた。バスで30分くらいの距離らしい。夕方まではアクロポリスあたりを散歩して、会場へ出発した。
ギリシャはアテネ五輪の時にかなり観光地として発達し、交通機関も便利になったらしいけど、バスになるとなにせ英語表記が全くないのだ。運転手も英語が話せない。
なんとか教えてもらった7番のバスを発見し、乗る前に体育館の名前「アギオス・トーマス」とだけ伝えた。しかし、伝わっているのかは全く分からない。すると、乗客の1人の少年が助けてくれた。彼は英語を話すことができた。
彼に導かれてバスを降りると、小さな教会のような建物に案内され、ギリシャ語で言った言葉は「グッドラック」だったのか分からないけど、彼は去って行った。完全に間違った場所に案内されたわけだ。試合開始の19:00は10分前まで迫っていた。夕暮れ時ではあったが、まだ少し明るさは残っていた。
僕は途方に暮れつつ、バイパスのような幹線道路まで歩いた。そして、歩道にいたライダーに話しかけた。とにかくバスケの試合を探していると伝えると、彼は指差しながら、僕が行くべき道を教えてくれた。知らない言葉でジェスチャーで教えられる道案内ほど不安なものはない。しかし、教えられた方に歩くしか、今の僕にはできることがないのだ。
バイパスを横断し、信号を曲がり少し小さな路地を歩いた。バイパスから遠ざかるとどんどん静かなエリアになっていく。5分ほど歩くと、小さな体育館らしき建物が見えてきた。日本で言うと、「なんとか市民体育館」みたいに小さい。アリーナとも言い難い、まさに体育館だ。試合開始時間の19:00は過ぎているが、到着できただけ運が良かったと言えるだろう。僕は10ユーロでチケットを買って会場に飛び込んだ。

会場に足を踏み入れると、フィジカルなぶつかり合い、ファンの応援で熱気に満ちていた。とは言え、観客はせいぜい300人ほど。楽器を使った応援や、派手な演出は何もなく、ファンの歌声と、HCの声がだけが小さな体育館にこだましていた。さっきまでバイパスの路肩で道に迷っていたことを考えると、地獄から天国へ来た気分だ。これが、僕がこの地に来た理由なのだ。

バスケ人生のコントラスト
アウェイチームMarrousiの1人の白人選手が躍動している。身長は2m弱だろうか。トランジションからの身体能力を活かしたレイアップ、力強い1on1、このコートでのベストプレイヤーは彼だとすぐに分かった。
試合後に入ったネットカフェ(まだWifiが自由に海外で使える時代ではなかった)で、僕はその選手をネットで探した。名前が分からないわけだから、見つけるのは容易じゃない。チームのサイトもギリシャ語しかない。別のサイトでようやく彼の写真を見つけ、名前がRenaldas Seibutis(セイブティス)だと知った。リトアニア人でまだ22歳の若者だった。彼はその後、リトアニア代表としてロンドン五輪の舞台に立っている。
また、イタリアに行っても、ギリシャに行っても、必ずアメリカ人選手がいる。彼らは世界中に選手を送り出している。この日も両チームでアメリカ人選手がプレイし、ホームチームLarissaのヘッドバンドを付けた黒人SGは、なんとなく見覚えがあった。しかし、劣勢の中で最後までファイトし続ける彼が何者なのか、会場では全く思い出せなかった。
彼の名はAuther Lee(リー)。実は僕が高2の時、テレビで初めて見たNCAAファイナル4で、スタンフォード大のトップスコアラーとして活躍した選手だ。1997年生まれだから、彼はこの時30歳だった。

彼がNBAではプレイしていないことはもちろん知っていた。しかしながら、それでもたった10年前のファイナル4では、ケンタッキー相手にチームトップの26点をあげ全米を沸かせた選手。ファイナル4と言えば3-4万人という大観衆。それが今はこんなアテネの片隅のLarissaという街で、300人ほどの観衆の前でプレイしている。彼らのサラリーがさほど高いものではないことは、知識のなかった僕でも容易に想像できた。僕はNBAや、オリンピックなどのバスケのことばかり考えて生きてきた。テレビで放送されているバスケは、バスケの世界のほんの一部に過ぎない。と、当たり前のことに気がつく。
少ない観衆にも関わらず、ギリシャのファンの熱狂さは変わらない。アメリカとは全く違う。時にはみんなで応援歌(野次かも)を歌う。上半身裸の人間もいる。
小さな体育館にはいろいろな人間模様がひしめきあう。
スター街道から小さな街に辿り着いたアメリカ人選手、ここからオリンピックの舞台へ羽ばたく希望に満ちた若手選手、小さな体育館でオラが街のチームの勝利のために裸で歌い続けるギリシャ人ファン、ギリシャバスケから何かを得たくて日本から体育館へたどり着いた中学校ボランティアコーチ。


