僕には大好きなCMがある。それはNikeが元NFLスタープレイヤー、コリン・キャパニックを起用した、“Believe in Something”というものだ。
このCMは全米中で議論を巻き起こした。それは、NFLのスターだったキャパニックが「黒人差別と警察の暴力に抗議するため」に試合前の国歌斉唱中に膝をつくことで、アメリカ国家に対して抗議した選手だったからだ。キャパニックはNFLチームから契約を拒否され、実質的にリーグを追放されている。
一部の消費者はナイキの製品を焼くなどの抗議運動をお越し、一時的に株価は下落した。しかし、若年層や多様性を支持する消費者層の支持を得て、結果的にナイキは
「社会的正義を支持するブランド」
として、ブランド価値の上昇に成功したと言われている。短期的には批判はあれど、長期的にはそれを上回る成功をもたらしたのだ。
“Believe in Something”は、直訳すると「何かを信じろ」になる。だけど、我々がこの出来事から学ぶべきメッセージは「信念を貫け」の方がしっくりくる。
さて、キャパニックが”信念を貫くこと“によりNFLを追放されたのが2016年。しかし、同じことを20年も前にやってしまったバスケットボール選手がいる。
それが、Mahmoud Abdul-Rauf(マックムード・アブドゥル=ラウーフ)だ。
ラウーフの信念と行動
ラウーフは1990年にドラフト3位の期待の新人としてNBA入りした。最初の2年こそ大きな活躍はできなかったが、3年目のシーズンに新HCのダン・イッセルと出会い、NBAでのキャリアが輝き始める。92-93シーズンにはMost Improved Player Award(シーズンで最も成長した選手へ送られる賞)を受賞した。1年遅くナゲッツに入ってきたディフェンスの名手ムトンボがチームの顔ではあったが、平均19点ほどをスコアするラウーフがチームの得点王だった。

そして当時はクリス・ジャクソンという名前で有名だったが、この頃イスラム教に改宗し、名前をアブドゥル=ラウーフに変えている。
94-95シーズンも同じく平均19点を記録してチームの得点王。95-96シーズンは最初の10試合時点では平均25点以上をスコアし、得点部門でNBAトップ10に入るほど絶好調だった。12月7日のユタ戦ではキャリアハイの51点を挙げ、2月4日にはマイケル・ジョーダン率いる18連勝中のシカゴ相手にシーズンベストゲームとなるアップセットを演じている。ご存じの通り、95-96シーズンのブルズは前人未到とされていたシーズン72勝を挙げたNBA史上最強のチームだ。ディフェンスの名手ロン・ハーパー、スティーブ・カー、時にはジョーダンにマッチアップされながらも、ラウーフはチームハイの32点をスコアして勝利の立役者となった。
そんなキャリアベストシーズンを送るラウーフに出場停止が言い渡されたのは、1996年3月12日のことだった。
キャパニックは国歌斉唱中に膝をついて抗議したが、ラウーフは国歌斉唱に自身の信条から起立していなかったことが問題視されたのだった。実際、長い間この事実に気付いている人すらいない目立たない行動だった。しかし、あるジャーナリストが問題に気付いたことで表面化し、出場停止と、1試合につき罰金3万ドル(当時レートで約360万円)を命じたのだった。
ラウーフは国歌斉唱中は「起立し静かにお祈りをする」ことでリーグと和解し、1試合の出場停止に留まったものの、アメリカ中で”パブリックエネミー“(公共の敵)としてあらゆる場所で激しいブーイングを受けた。メディアも彼を大きく批判した。「アメリカ国旗は抑圧の象徴」とラウーフが起立しない政治的信条を語ったこと、そしてアブドゥル=ラウーフに改名していたことで外国人のように思われたことも、より批判を激しいものにした。彼のことを知らない人は、「国へ強制送還しろ!」など激しいバッシングしたが、ラウーフ自身は純粋なアメリカ人だ。脅迫状が届いたりすることで常にSPが付き、プレイどころかまともな生活すら危ぶまれた。

壮絶な人生について深く語られている。
代償になったNBAキャリア
結果的に、チームのトップスコアラー、アシストリーダーであったにも関わらず、ラウーフはシーズン後にサクラメントへトレードされた。サクラメントで2シーズンプレイするも、徐々にプレイタイムは減らされていった。そしてシーズン後にNBAからのまともなオファーはなく、海外を転々としてプレイした。選手として1番のピークを迎えた時に、彼はNBAから追放されてしまったのだった。
キャパニックの事件や、最近のBlack Lives Matter運動がきっかけで、「表現の自由」や「国家への敬意」をテーマに様々な議論が巻き起こり、スポーツ選手が政治的な発言をすることも今でこそ珍しいことではなくなった。しかし、20年前は彼をサポートしてくれる人は誰もいない、孤独な戦いだったのだ。
ケビン・ガーネットは、自身の自伝“KG A to Z”の中でこう語っている

「ラウーフの勇敢な行動は、忘れられてはならない。(中略)アスリートが社会的な問題に抗議する権利は絶対だということを、世界が理解するまでに25年もかからなければよかった。マックムードは大きな代償を払った。抗議運動をしたことで、彼のキャリアは打ち切られてしまったんだ。」
追いつきたいけど追いつけない
”信念を貫く“とか、”何かを犠牲にする“というのはパワフルなメッセージだ。僕らにやる気や勇気を与えてくれるカッコ良い言葉でもある。
だけど一方で、現代社会ではとてもありふれている言葉でもあり、特別な新しさはない。様々な音楽、映画、小説などの中に散りばめられ、ちょっとカジュアルなメッセージにさえなってしまっているかもしれない。
僕自身も(自分なりの)正義を貫いて、その代償を払った経験はあるつもりだ。だけど、この2人が払った代償を見た時、あまりにもレベルが違いすぎて、自分の払った代償などなんて些細なことかと、いつも恥ずかしい思いになるのだ。“信念を貫く”、こんな言葉をいつか使ってみたいけど、僕のような人間がこれを言ったら、この言葉をすごくカジュアルなものにしてしかわないか、いつも迷いが出る。
とはいえ、自分を彼らと同じ舞台に置くことはできないし、代償を比較しても意味がない。自分は自分に与えられた舞台で、信じた道を進むしかないのだろう。
ケビン・ガーネットは言う。
「私たちの心に訴えかけ、魂を奮い立たせてくれたことに感謝する。あなたの勇気と信念に我々が追いつくのには時間がかかりすぎたが、追いつけないよりはましだ。」
クレイジーさは足りてますか?
キャパニックのCMの中では、彼の勇敢な行動と”信念を貫け“というメッセージが、僕のような一般人向けに、とても分かりやすく変換されている。これはとても有難い。

”自分の夢(信念)がクレイジー過ぎるかどうかなんて考えるな。むしろ、クレイジーさが足りてるかどうかでしょ“
つまり、誰かに夢や信念を馬鹿にされたり、「そんなの不可能だ」って笑われたら、それこそが本物だってこと。
このCMを見るたびに、僕はいつも大切な何かを思い出すのだ。
ワクワクすること、馬鹿げたことをたくさんやりましょう。まだ間に合う。


