目的地がギリシャ・テッサロニキであるにも関わらず、僕はなぜかローマに立ち寄ることにしていた。理由は1つ。伝説の終わりを、この目で見たかったからだ。
デヤン・ボディロガ
この名前を知っている人がもしいたら、それは相当なバスケマニアだ。NBAでプレイしたことがないこの選手は、ヨーロッパの伝説の選手の1人だ。
僕が初めて彼のプレイを見たのは、2002年のワールドカップ(当時はワールドチャンピオンシップ、日本では世界選手権と呼ばれた)だった。
この大会は1992年のバルセロナ五輪でドリームチームが結成されて以降、アメリカ代表が初めて負けた大会として有名でもある。ただ負けただけでなく、3回も負けた。アルゼンチン、ユーゴスラビア、スペインの3カ国だ。
ボディロガはユーゴスラビア代表の選手だった。ユーゴスラビアが最終的に7つの国に分裂する複雑な歴史を持っていることを知っている人も少なくないと思うが、ユーゴスラビアとしてFIBAの大会に出たのはこれが最後。2004年アテネ五輪や、日本で開催された世界選手権にはセルビア・モンテネグロという名前で出場している。そして、今はセルビアもモンテネグロもそれぞれが独立した国となっている。
ボディロガはキャリアで言うと、ユーロリーグを3度も制したことがあるスーパースターだ。1995年にはNBAドラフトもされているが、結局NBAではプレイしていない。
僕が初めてテレビでプレイを見た時、僕はボディロガのことすら知らなかった。しかし、彼は明らかに“違っていた”のだった。
ユーゴスラビアは準々決勝でアメリカを倒し、決勝ではオーバータイムでアルゼンチンを破って優勝した。
ユーゴスラビアの中心選手は、普通に見ればNBAスターのブラデ・ディバッツと、ペジャ・ストヤコビッチの2人だ。チームの得点王も実際ペジャだった。しかしシックスマンとしてベンチからボディロガが登場すると、瞬く間に別のチームに変貌する。
決勝戦では明らかにボディロガが主役だった。205cmというサイズではあるが、スピードがあるわけでもない。とんでもなくシュートが入るわけでもない。しかし、ベンチから試合に出てくるボディロガこそがセルビアのエースなのだ。決勝ではベンチから27点をあげ、ユーゴスラビアを優勝へ導いた。
そのボディロガは2006-07シーズン、ヴィルタス・ローマでプレイしてしていた。しかも、この時ボディロガは35歳。いつ引退してもおかしくない年齢と言って良いだろう。(実際、このシーズンを最後に引退した)
せっかくイタリアまで来ているのだ。伝説の目撃者になりたくないわけがない。
夢から醒めるローマ
ヴェネツィアのマルコポーロ空港から約1時間の旅。ローマのフィウミチーノ空港へ到着した。空港から約30分電車に揺られ、ローマの中心地であるテルミニ駅に到着したのは時には14時を回っていた。地球の歩き方を見ながら本日のホテルを探す。試合を見に行くためにはスーツケースをまず置かなければならないからだ。3日連続で新しい街で寝床を探す時間は、何回やってもスリリングだ。
ローマというと僕らは美しい何かを連想してしてしまうが、街の風景は渋谷に近い。特に小さな路地はゴミが散乱し、建物も汚かった。朝までは美しいベネチアにいたことが遠い昔に感じられるが、これこそが”人が生きる街“なのかもしれない。

地球の歩き方を見ていると、いろいろな人に話しかけられる。それはほとんど詐欺師と言う設定で適当にあしらってホテルを探す。世間知らずの日本からの旅人には、それくらい厳しいセンサーがあってちょうど良いと思う。運良くちょうど良い1つ星ホテルがすぐに見つかり、僕は荷物だけ置いて試合会場へ飛び出した。

パラロトマティカ
試合会場は、トレヴィーゾと比べはるかに大きい。10000人を超える収容人数らしいアリーナが見えてくると、興奮も高まってきた。ローマに関しては、行けばなんとかなるのではないかと安易に考え、チケットは手配せずに向かったが、会場のチケットオフィスで普通に購入することができた。
グッズ売り場にはなんとボディロガのユニフォームが売っていたので、なんの躊躇もなく購入した。日本でボディロガのユニフォームを持っているのは、おそらく僕だけだろう。
肝心な試合は、消化試合のような雰囲気で会場は半分も埋まっていなかった。ベネチアで見た熱烈なヨーロッパ風の応援に比べ、どこか都会風な少し冷めた感じの応援だった。それでも、ボディロガは期待通り17点をスコアし、強豪のバスコニア相手に存在感を見せつけた。
パイオニアのパイオニア
当時はまだまだピック&ロール全盛の時代ではなく、ボディロガの持ち味はアイソレーションだった。ボディロガの動きを説明すると、”なんか変”が自分にはしっくりくる。彼の1on1はちょっと“変”なのだ。今ではスキルとして説明できるが、当時は上手く説明できなかった。
1番有名なのはシャムゴッドというムーブだろう。NBAでプレイしたゴッド・シャムゴッドがこのムーブを有名にする前から、ボディロガはこのムーブを武器にしていたのだ。(このムーブはユーロでは”鞭“と呼ばれたらしい)
他にも今では当たり前になりつつある、インバートクロスオーバードリブルだったり、ユーロステップだったりを自在に使いこなしていた。
動画でも触れられているように、今で言うとルカ・ドンチッチが1番近いタイプの選手かもしれない。205cmのPFのようなサイズの選手が、PGのようにしなやかにドリブルやパスを繰り出し、まるでSGのように1on1でスコアするのだ。
試合の雰囲気や結果など僕は求めていない。伝説の男のプレイを目に焼き付けることこそが、ここローマに立ち寄った目的だったのだから。
繋がるバスケの縁と続く旅
ちなみにローマのHCはヤスミン・レペサさん。数年前にS級コーチライセンス講習で日本に来日している。この時はそんなこと知る由もないけど、何か縁を感じずにはいられない。
また、勝利したバスコニアは、アルゼンチン代表として日本にも来日し、現在はミネソタでACを務めるパブロ・プリジオーニや、ブラジル代表のACとしてパリ五輪で日本とも対戦したティアゴ・スプリッターがプレイしていた。
ホテルに戻った時には、さすがに全身から力が抜けていた。観戦、移動、そして慣れない街でのホテル探し。旅の疲労は、いつも心地よい重さを伴う。
財布に優しくないレストランは避けて、いつものようにピザをテイクアウトして部屋でかじる。贅沢はできない。体力と好奇心だけで突き進む旅だから、他のことはどうでもいい。
しかし、メインの目的地のギリシャにたどり着く前に、イタリアでこんなにも感情を揺さぶられるとは思っていなかった。ヒッチハイクしてホテルに戻った昨晩が半年前のように遠く感じた。
それでも、旅はまだ始まったばかり。
今夜見たボディロガのプレイのように、この後もきっと思いがけない瞬間が訪れる。薄暗い部屋の天井を見つめながら、そんな期待だけを胸に、僕は静かに眠りについた。



