劇的な優勝で幕を閉じた2023年WBC。準決勝のサヨナラ勝ち、決勝での大谷vsトラウトの対戦。漫画だとしてもベタすぎてボツになりそうなストーリー。日本の小さな町出身の選手が、世界最高の舞台で、憧れだった世界No1の打者を打ち取り日本を世界一に導く。現実というのは時に小説よりもエキサイティングで、運命みたいなものを感じずにはいられない。おそらく日本だけでなく、世界中の子どもたちが、大谷を初めとした日本代表や、野球そのものに夢中になったはずだ。彼らが大人になった時に、また野球は輝かしい時代を迎えるだろうと思う。
黒船襲来
およそ30年前、マイケルジョーダン率いるバスケットボールのアメリカ代表、いわゆる“ドリームチーム”が世界中の少年たちを魅了した。パウ・ガソル、トニー・パーカー、ダーク・ノビツキーはその時ちょうど10歳前後だった。そのバルセロナ五輪からわずか10数年で、彼らはアメリカを脅かすほどの偉大な選手たちに成長したのだ。やはりスポーツの力はすごい。
30年前といえば、ちょうど僕の家にもBSアンテナという黒船がやってきた。当時小学校6年生だった僕にとっては、どうも映るチャンネルが増えたらしいくらいの認識だった。しかし、高校1年生という思春期真っ只中だった僕の兄は、海外のスポーツや音楽に興味を持ち、親を説得してBSアンテナの取り付けを実現させたのだった。
小学校6年生だった僕は野球をやっていて、地域のチームではキャプテンだったりもした。中学でも何の疑問を持たず野球をするつもりでいた。小学校の友達は、スラムダンクが流行り始めた影響で、少しづつバスケットをやるようになっていたが、僕はその時はまだ、その後社会現象ともなるスラムダンクを読んでおらず、学校の休み時間は相変わらずドッジボールに夢中だった。
しかし、BSアンテナの襲来は、黒船襲来が江戸後期の歴史を変えたように、僕の人生を大きく変えることになる。
NBAという黒船
忘れもしない。小学校6年の正月にNBAファイナルの再放送があったのだ。当時、バスケットボールをやったこともなかった僕の、NBAとのファーストコンタクトだ。1993年NBAファイナルGame6。シカゴブルズのスリーピート(3連覇)がかかった重要な一戦は、ブルズのジョン・パクソンの劇的な3ptが決勝点となり、ブルズはスリーピートを達成した。
その劇的な試合を見た僕は、どういうわけか相手チームのサンズが好きになった。当時、日本のカップラーメンのCMにも出ていたバークレーは敗者でありながら振る舞いが不良っぽくてカッコよかったし、長い距離から3ptを沈めるダン・マーリーも好きだった。そして、小さいけれど素早いドリブルで相手を抜き去ってレイアップを決めるケビン・ジョンソン(KJ)に特に憧れた。
その日から、家の前でのドリブルの練習が始まった。どうやってボールを手に入れたかなどは全く覚えていない。もちろんゴムボールだったし、バスケットボールですらなかったのかもしれない(笑)。KJになりきってレッグスルーを右から左へ、また左から右へ。ビデオに録画した試合を何度も何度も見て、新しい動きに気が付いては、その動きをマネしたりした。学校の休み時間や放課後もドッジボールをやめて、バスケットに混ざり始めた。当時、自分がどんな動きをしていたかは記憶にもないし、知る由もない。しかし、友達とプレイする時、僕の視野の中には、対戦する友達はいっさい映っておらず、ゴール下ではバークレーに、遠くからシュートする時はダン・マーリー、そしてドリブルをする時、僕はまさにKJそのものになっていた。
レベル42になりました
もしも、あの時BSアンテナが家に来なかったら、もしも兄がたまたまNBAを録画しなかったら、僕はバスケットボールをプレイすることなかったし、バスケットボールに関わる仕事をすることもなかったはずだ。しかし、その奇跡的な小さな出会いが人生を変え、結果的に日本代表のスタッフにまでなった。(もちろんストーリーはここで終わってはいない、、)
マイケル・ジョーダンや大谷翔平のストーリーが、まるで漫画のようにエキサイティングで、多くの人に夢や希望を与えるほど、僕の人生は別にエキサイティングではない。でも、「人生がどう転がっていくかは誰にも分からない」という意味では、僕の人生は小説以上にミステリーに満ち満ちていると思う。
自分はまだまだ未完成で、やりたいこともたくさんあるし、何かを成し遂げたなんてこれっぽっちも思ってはいないけれど、それでもこれまでの人生の軌跡が、ほんの僅かな人に、小さな希望でも与えてしまうこともあるかもしれないなと思い、そして自分の経験してきたことを書き記しておきたいな思い、ブログを始めることにしました。


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