中学バスケ部の練習にほとんど行っていなかった僕のチームメイトは、モルモン教会で一緒にプレイする仲間だった。
NBAが共通言語
1年生で同じクラスになったK君は、教会で1番時間を共にした友人だ。彼はアンファニー“ペニー”ハーダウェイが好きで、中学に入学したての5、6月には、すでにNBAプレイオフの話で盛り上がった。それは1994年、ジョーダンが野球に転向して不在のNBA。レジー・ミラーのペイサーズがプレイオフの台風の目となり、最終的にアキーム・オラジュワンのロケッツがチャンピオンとなったシーズンだ。
K君は頭が良く、身体能力も学校では頭抜けていた。僕も小学校でピッチャーをやっていたくらいなので小学校内では足は速く、ジャンプにも自信はあったが、彼の跳躍力には全く歯が立たなかった。
当時の僕にはそれについて特に悔しいとか、羨ましい感情はそんなになく、頼もしいチームメイトがいることが嬉しくて仕方なかった。僕には違った武器があると思っていたし、別にチームの2番目以降でも良かったし、NBA選手がそれぞれ違った武器を持ち、チームの中で全く違う役割を演じるように、僕はそんなチームをぼんやりと夢見ていた。
K君は進学塾にも通っていたため、教会に来れない事が多くなったが、教会の目の前のバス停から塾に向かうため僕がバスケをしている前を通ると、バスを待つ間に1on1が始まることもあった。時には白熱しすぎてバスを何本か見送って、結局諦めて塾に遅刻していくこともあったが、NBA選手の技をお互いに繰り出すあの時間は、どんな試合をするよりも至福の時間だった。数えてもいないから不確かだけど、僕の負け越しだったと思う。
2人目の被害者
もう1人、この空間に飛び込んできた愛すべき馬鹿な男を紹介したい。入学して1度はサッカー部に入ったI君だ。彼は兄の影響からか洋楽やアメコミやスニーカーなど、多くのことに興味を持ち、そして天然パーマであることにコンプレックスを持つ思春期まっさかりの少年だった。しかしながら、たまたま席が近くなったことをきっかけに、僕らはNBAという共通言語を発見して急速に仲良くなった。僕らは教会でバスケをするようになり、彼はついにバスケ部に入部した。
彼のバスケも僕と同じくNBAからスタートしているがわけだが、僕とは違った感性を持つ面白いやつだった。僕も人並み以上にバッシュやスニーカーも大好きな少年だったが、彼はもっとマニアックなところをついてくる。ホーレス・グラントやジェームス・ウォージー、アブドゥル=ジャバーが試合中に付けていたゴーグルに、彼は心をときめかせていた。彼は悩んだ末に、NBAグッズを多く扱う渋谷のお店でジャバーと同じゴーグルを買った。
お気に入りのゴーグルを装着して初めて教会で3on3をした時、彼は1番輝いていたと思う。身体が強かったI君はホーレス・グラントのようにリバウンドを取るパワーフォワードだった。ゴーグルを手に入れまさに無敵状態になったその日も、多くのリバウンドを取っていたが、密集地帯で激しくコンタクトしながらリバウンドを取って着地した後、急にプレイを止めた。みんなが怪我でもしたかと心配した時、「ゴーグルがズレた」と彼は言った。
その日以来、ゴーグルを見たものはいない。

ビッグマンが好きだった彼は、オラジュワンの必殺技“ドリームシェイク”にも魅了されていた。彼のために僕もムーブを何度も見て、僕自身も彼に教えながら練習した。実際、僕自身のピボットスキルもすごく上達したと思う。彼は決してすぐにムーブを習得できるタイプではなかったが、中学の引退試合では、本家のドリームシェイクばりの”Iシェイク“を決めて会場を沸かせたのだった。彼にポストフィードした僕自身も最高の気分だった。

偶然は必然に
NBAに出会ったこと以上に、NBAを同じ目線で語れて、コートでも表現し合える仲間は、神様からのプレゼントだったと思う。インターネットで人と簡単に繋がれる現在と違って、当時は地元で一人ぼっちのNBAファンだった人も、田舎などでは少なくなかっただろうと想像できる。そんな当たり前に思ってた日常がなければ、さすがの僕だってここまでNBAバカに成長できていたかは分からないのだ。
そして、高校の部活を早々に辞めてしまったせいで、いわゆる公式戦にほぼ出場していない僕にとっては、彼らは最初で最後の選手としてのチームメイトであったりもする。全国的に見たら強いチームでもなんでもなく、東京都大会にも出場できていない、新宿区で4位のチームだった。
そんなチームだけど、彼らと一緒にプレイできたことは今でも誇りだし、1点差で負けた引退試合は、今でもたまに夢に出てくる。


