※この投稿は2023年5月に書いたものです。
今年も3×3の夏がやってきた。今やバスケは5人制だけのものではなく、3×3もどんどん認知度を上げている。
先日、5人制に先立って3×3ワールドカップが行われたが、男子代表には嬉しい名前があった。
トーマス・ケネディ。
Bリーグに詳しい人であれば、帰化選手として活躍し、“TK”というニックネームで愛される彼の名前を知っている人も多いのではないかと思うが、彼が初めて日本に来てから、実はもう12年が経っている。
東日本大震災から5ヶ月が経過した2011年の8月、まだ震災の爪痕が大きく残る盛岡で、僕はトーマス・ケネディと出会った。
岩手ビッグブルズ。
2011年からbjリーグに参入した4つののチームの1つがビッグブルズだった。(ちなみに残りの3つは、千葉ジェッツ、横浜B-コルセアーズ、信州ブレイブウォリアーズで、全てB1のクラブであることはとても感慨深い)
震災直後にリーグ参入できるのかととても心配されたが、“こんな時だからこそ”となんとか開幕に漕ぎつけた。ギリシャ人HCのブラシオスの指揮の元で夏のチーム作りに励んだが、新規参入チームにとってbjリーグは簡単なリーグではなかった。全く良いところなく開幕5連敗を喫し、シーズン0勝で終わることも覚悟したほどだった。
しかし、クラブ史上初勝利となるアウェイでの埼玉ブロンコス戦、TKは21点を上げてチームを勝利に導いた。それまでの試合ではブラシオスHCの戦術を遂行することを意識し、自分のプレイをセーブしていたTKだったが、土曜日の敗戦をきっかけに、ついに“自分のプレイ”を出し始めたのだった。得意のジャブステップから繰り出されるジャンプショットが決まるたびに、ベンチにいる僕らスタッフや選手も、「マジか!?」とびっくりするくらいのパフォーマンスだった。それがたまたまの特別なものではなく、彼の本来の力だということを、僕らチームメイトや、他のチームが知るまでに長い時間はかからなかった。
TKは純粋にバスケが大好きな選手だった。練習の前後には必ずコートでひたすらシューティングをしていたTKだけど、それは”練習をする“ってよりも、昨日バスケを始めたばかりの子供のように、ただ”シュートを打つのが大好き“な大人に見えた。
シーズン中の練習の送り迎えは僕の仕事だったから、買い物だったり、軽い食事だったり、いろんな場所へ行った。県内いろんな場所でクリニックだったり、練習だったりがあったから、彼と一緒にいる時間は本当に長かった。
シーズンのほとんどをリーグ最下位として過ごし、HCが途中で交代したり、僕みたいな何の経験もない若造にHCされたり、彼にとっては散々なシーズンだったかもしれないけど、上昇気流に乗った最後の2ヶ月は、彼もきっと心の底から楽しんだはずだ。震災直後だったこともあって、いろんな期待も背負って試合していることは僕らも理解していたし、多少はそれに応えることができる試合もあったと思う。
そして、TKはシーズン終了後に、横浜に移籍しbjリーグチャンピオンになったのだった。それからいくつのチームに渡り歩いたかすぐには思い出せないけど、当時1on1が得意でカーメロのようにジャブステップからのジャンパーを決めまくっていたスコアラータイプだったけど、シーズンを重ねるたびにバスケットそのものが上手になっていった。3番でのプレイがメインだったが、4番のスキルもどんどん向上し、プレイの幅を広げていった。
岩手に来た時、つまり日本1年目の彼のサラリーは、サラリーマンの初任給くらいしかなかったと聞いている。でもそのころからTKは「長く日本でプレイすることが目標」と言っていた。大学の先輩のラマー・ライス(当時日立でプレイ)から、「日本のリーグと生活環境は最高」だと聞かされていたらしい。
先日合宿で久しぶりに彼と話をする機会があったのだけど、特に広島にいる間に日本国籍を取得するために、日本語の勉強を本当に頑張ったのだとか。練習後もほぼ毎日日本語の勉強をしたと言っていた。そんな努力が実って、岩手に来たころからの目標が完璧に実現されたことを本当に嬉しく思う。
あの頃はまさか、彼が”日の丸“を付けて戦う日が来るとは夢にも思わなかった。



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